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大阪観光をするなら、少し足を伸ばして古墳観光はいかがでしょうか?
大阪には世界遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」を代表として数多くの古墳が存在します。
日本一の大きさを誇る「仁徳天皇陵」も百舌鳥古墳群の中の1つです。
そこで今回は、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」についてまとめました。
このページの目次
大阪の古墳観光の定番のスポット!
大阪で古墳観光するなら「百舌鳥・古市古墳群」は外せません。
百舌鳥・古市古墳群は大阪南部に広がっており、200を超える古墳が大阪の堺市周辺に散らばっています。
4世紀末から6世紀始めに造られ、半壊の古墳も含め44基が「百舌鳥エリア」87基が「古市エリア」に広がっています。
これらの古墳は一連性があるとされ、古墳群として文化庁にり「世界遺産」に推薦されました。
中でも一番大きな古墳は堺市の「百舌鳥エリア」にある「仁徳天皇陵」(にんとくてんのうりょう)で、縦486m×横307mと日本一大い前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。
世界一大きなお墓とも言われています。
古墳を観光する時のポイント!
代表的な古墳を観光する際は車でも大丈夫です。
たくさんの古墳を観たい場合は電車で来ることをオススメします。
古墳周辺は住宅街になっていることも多く駐車場を探すのが大変です。
大阪の百舌鳥エリアにある古墳観光
百舌鳥エリアの古墳を観光する時に必ず見てもらいたいのは「仁徳天皇陵」です。
日本一大きな古墳で、長さ約486m、幅 約307mの前方後円墳になります。
また周辺には他には、
- 反正天皇陵反正天皇陵(はんぜいてんのうりょう)
- 履中天皇陵(りちゅうてんのうりょう)
- 丸保山古墳(まるほやまこふん)
- 旗塚古墳(はたづかこふん)
- グワショウ坊古墳(ぐわしゅうぼうこふん)
- 七観音古墳(しちかんのんこふん)
- いたすけ古墳(いたすけこふん)
- 御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
- 鎮守山塚古墳(ちんじゅやまづかこふん)
など数多くの古墳があります。
仁徳天皇陵、反正天皇陵、履中天皇陵の3つの古墳を合わせて「百舌鳥耳原三陵(もずのみみはらさんりょう)」とも呼ばれています。
百舌鳥エリアの古墳への行き方
百舌鳥エリアへはJR阪和線または南海高野線の「三国ヶ丘駅」が便利です。
百舌鳥エリアの古墳群周辺には他にも、
- JR阪和線「百舌鳥駅」
- JR阪和線「上野芝駅」
- 南海高野線「堺東駅」
などからでも行くことができます。
梅田(大阪)から行く場合はJR阪和線、難波から行く場合は南海高野線だと1本で行くことができます。
JR大阪駅からの行き方
JR 大阪駅からは関空または和歌山方面の快速に乗り約32分で「三国ヶ丘駅」に着きます。
「百舌鳥駅」・「上野芝駅」へは「三国ヶ丘駅」から各駅停車に乗り換えて1駅で「百舌鳥駅」、2駅で「上野芝駅」になります。
南海難波駅からの行き方
南海難波駅より高野線 の急行で11分で「堺東駅」に着きます。
「堺東駅」で普通又は準急行に乗り換えて1駅2分で「三国ヶ丘駅」に着きます。
準急行 和泉中央行きだと13分で「三国ヶ丘駅」です。
百舌鳥エリアの古墳のオススメコース
南海高野線「堺東駅」からスタートして仁徳天皇陵、反正天皇陵、履中天皇陵など10の古墳を見るコースです。
約7.25kmのルートなので午前中に来て、途中にある大仙公園でお弁当を食べるのも良いですよ。
- ① 堺東駅から東へ300m程行くと反正天皇陵があります。(約300m 徒歩約3分)
↓ - ② 反正天皇陵の周りをぐるっと周ります。(約1km 徒歩約12分)
途中で方違神社(ほうちがいじんじゃ)の中を通ります。
方違神社は方災除けの神様で引っ越しの時などにお参りします。
↓ - ③ 次は南にある丸保山古墳まで少し歩きます。(約1km 徒歩約12分)
仁徳天皇陵の手前にある丸保山古墳は仁徳天皇陵の陪塚(ばいちょう)の一つとされています。
↓ - ④ 丸保山古墳のすぐ横に仁徳天皇陵がありますが、正面の古墳拝所まで歩きます。
(約1km 徒歩約12分)
↓ - ⑤ 古墳拝所の南側に広がる大仙公園の中にいくつか古墳があります。
その中でも比較的大きい、グワショウ坊古墳まで南に向かって歩きます。
(約500m 徒歩約6分)
↓ - ⑥ グワショウ坊古墳のすぐ横に旗塚古墳が見えます。(約100m 徒歩約1分)
↓ - ⑦ 大仙公園の西側に300m移動すると七観音古墳があります。(約300m 徒歩約3分)
↓ - ⑧ 七観音古墳の南側には履中天皇陵があります。(約100m 徒歩約1分)
七観音古墳からも見ることができます。
徒歩で一周すると約2km、30分程かかります。
↓ - ⑨ JR百舌鳥駅まで行く途中にいたすけ古墳が東側にあります。(約750m 徒歩約9分)
↓ - ⑩ 北側にはもうひとつ御廟山古墳があります。(約450m 徒歩約6分)
↓ - ⑪ もう少し東側に足を伸ばすと鎮守山塚古墳も見ることができます。
(約750m 徒歩約9分)
↓ - ⑫ 鎮守山塚古墳からJR阪和線「百舌鳥駅」までは途中御廟山古墳の周りを歩くこともできます。(約1km 徒歩約12分)
大阪の古市エリアにある古墳観光
古市エリアの古墳を観光する時に必ず見てもらいたいのは「応神天皇陵」です。
こちらは仁徳天皇陵に次いで日本で2番目に大きな古墳です。
長さ約425m、幅 約300m、で仁徳天皇陵と同じ形の前方後円墳になります。
また周辺には他には、
- 允恭天皇陵(いんぎょうてんのうりょう)
- 仲姫命陵陵(なかつひめのみことりょう)
- 鍋塚古墳
- 古室山古墳
- 赤面山古墳
- 大鳥塚古墳
- 誉田丸山古墳
- 東山古墳
- 野中古墳
- 墓山古墳
- 向墓山古墳
- 西馬塚古墳
など数多くの古墳があります。
古市エリアの古墳への行き方
古市エリアへは近鉄南大阪線の「土師ノ里駅(はじのさとえき)」または、「古市駅」が便利です。
梅田と難波から行く際には大阪メトロ 御堂筋線に乗り、天王寺駅で近鉄南大阪線に乗り換える必要があります。
大阪メトロで天王寺までは梅田から16分、難波から6分です。
近鉄の天王寺駅は「大阪阿部野橋駅」という名前になります。
南大阪線の急行または区間急行で「古市駅」まで1駅約16分です。
「土師ノ里駅(はじのさとえき)」は準急で3駅約16分です。
古市エリアの古墳のオススメコース
近鉄南大阪線「古市駅」をスタートして応神天皇陵など13の古墳を見るルートです。
約4.7kmのルートで南から北へ北上していきます。
百舌鳥エリアよりコンパクトで歩く距離は短いです。
- ① 古市駅から北西へ600m程行くと西馬塚古墳があります。(約600m 徒歩約9分)
↓ - ② 西馬塚古墳からさらに北西へ200m程進むと向墓山古墳に着きます。
(約200m 徒歩約3分)
↓ - ③ 向墓山古墳から100m程西側に墓山古墳があります。(約100m 徒歩約1分)
↓ - ④ 墓山古墳の北側200m程の所に野中古墳があります。(約300m 徒歩約3分)
墓山古墳は大きいため、周りに小さな古墳がいくつか造られています。
↓ - ⑤ 墓山古墳から少し離れた北側に東山古墳があります。(約600m 徒歩約7分)
↓ - ⑥ 東山古墳の東隣に応神天皇陵があります。
正面までは少し距離があります。(約600m 徒歩約7分)
↓ - ⑦ 応神天皇陵の北側に誉田丸山古墳があり、応神天皇陵の正面に周ると左手に見えています。(約100m 徒歩約1分)
応神天皇陵の周りにも陪塚(ばいちよう)と呼ばれる小さな古墳がいくつかあります。
↓ - ⑧ 誉田丸山古墳から北にいくつか古墳が並んでいます。
・大鳥塚古墳(約100m 徒歩約1分)
・赤面山古墳(約100m 徒歩約1分)
・古室山古墳(約100m 徒歩約1分)
↓ - ⑨ 古室山古墳の北側に仲姫命陵があります。
地図では仲姫命陵の西側を歩いていますが、東側を歩く方がオススメです。
(約1km 徒歩約12分)
↓ - ⑩ 仲姫命陵の北東300mのところに鍋塚古墳があります。(約400m 徒歩約5分)
↓ - ⑪ 鍋塚古墳から南側に行くと弁恭天皇陵があります。(約300m 徒歩約4分)
↓ - ⑫ 弁恭天皇陵から近鉄南大阪線の「土師ノ里駅」から帰路についてください。
(約100m 徒歩約1分)
百舌鳥・古市古墳群の代表的な古墳
百舌鳥・古市古墳群には200を超える古墳が密集して造られています。
その中でも日本の古墳でも代表的な古墳をご紹介いたします。
仁徳天皇陵について
仁徳天皇陵は別名、大仙古墳とも呼ばれています。
仁徳天皇陵は3段の丘で築かれ、濠(ほり)が周りに3重に掘られています。
周辺には10基程の陪塚(ばいちよう)と呼ばれる小さな古墳もあります。
エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の1つです。
周囲には約2.8kmの周遊路が整備されていて歩いて1周するのに約1時間かかります。
平安時代中期に決められた格式 「延喜式(えんぎしき)」により、「百舌鳥耳原中陵」(もずのみみはらのなかのみささぎ)と命名されています。
第16代仁徳天皇のお墓として今は宮内庁が治定・管理しています。
また、アメリカのボストン美術館には「仁徳天皇陵」古墳から出土したと言われている「細線文獣帯鏡(さいせんぶんじゅうたいきょう)」や「単鳳環頭太刀(たんほうかんとうのたち)」などが展示されています。
一般名 | 仁徳天皇陵 |
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古墳名 | 大仙陵古墳 |
建造世紀 | 5世紀前期~中期 |
国内の大きさ | 1位 |
長さ | 約486m |
所在地 | 堺市 |
旧国名所在地 | 和泉 |
応神天皇陵について
応神天皇陵は別名、誉田山古墳とも呼ばれています。
古市エリアにある古墳の中で一番大きな古墳で、長さ約425m、横幅約300m、高さ約35mもあります。
高さは仁徳天皇陵よりも高く、体積では日本一の古墳です。
仁徳天皇陵と同じように3段の丘で築かれ、斜面は一面に石で覆ってあります。
濠は二重に掘られています。
東側には先に造られた「二ツ塚古墳」があるため、少しいびつな形になっているのが特徴です。
大きくて全体が見えにくいですが、参道からは全体が良く見え、大きいことを実感できます。
一般名 | 応神天皇陵 |
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古墳名 | 誉田御廟山古墳 (誉田山古墳) |
建造世紀 | 5世紀初期 |
国内の大きさ | 2位 |
長さ | 約425m |
所在地 | 羽曳野市 |
旧国名所在地 | 河内 |
他の代表的な古墳
百舌鳥・古市古墳群にある他の代表的な古墳もご紹介いたします。
履中天皇陵
一般名 | 履中天皇陵 |
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古墳名 | 上石津ミサンザイ古墳 (石津ヶ丘古墳・百舌鳥陵山古墳) |
建造世紀 | 5世紀前期 |
国内の大きさ | 3位 |
長さ | 約365m |
所在地 | 堺市 |
旧国名所在地 | 和泉 |
雄略天皇陵
一般名 | 雄略天皇陵 |
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古墳名 | 河内大塚山古墳 |
建造世紀 | 6世紀後半 |
国内の大きさ | 5位 |
長さ | 約365m |
所在地 | 松原市・羽曳野市 |
旧国名所在地 | 河内 |
ニサンザイ古墳
一般名 | ニサンザイ古墳 |
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古墳名 | ニサンザイ古墳 |
建造世紀 | 5世紀後期 |
国内の大きさ | 8位 |
長さ | 約288m |
所在地 | 堺市 |
旧国名所在地 | 和泉 |
仲姫命陵
一般名 | 仲姫命陵 |
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古墳名 | 仲津山古墳 |
建造世紀 | 5世紀前期 |
国内の大きさ | 9位 |
長さ | 約286m |
所在地 | 藤井寺市 |
旧国名所在地 | 河内 |
仲哀天皇陵
一般名 | 仲哀天皇陵 |
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古墳名 | 岡ミサンザイ古墳 |
建造世紀 | 5世紀後期 |
国内の大きさ | 17位 |
長さ | 約238m |
所在地 | 藤井寺市 |
旧国名所在地 | 河内 |
允恭天皇陵
一般名 | 允恭天皇陵 |
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古墳名 | 市野山古墳 |
建造世紀 | 5世紀後期 |
国内の大きさ | 20位 |
長さ | 約227m |
所在地 | 藤井寺市 |
旧国名所在地 | 河内 |
古墳とは?
「古墳」は別名「陵(りょう)とも呼ばれ、3世紀から6世紀に造られた地位の高い人や、権力をもった人のお墓です。
3世紀末から7世紀末頃までを古墳時代とも呼びます。
日本国内には16万基以上の古墳があると言われています。
その中でも特に大きい古墳が百舌鳥・古市古墳群に集中しています。
古墳時代について
古墳時代の前は弥生時代でした。
弥生時代には米作りが日本に入ってきた時代で、村ができ、村同士で争いが起こるようになりました。
やがて村が大きくなり、大きな村がまとまって国になりました。
その中でも有名なのは邪馬台国です。
その少し後に西日本を中心に、国がまとまる時代を古墳時代と呼びます。
鉄製の武器や鎧が造られるようになり、権力者は武力で民を支配していました。
また、鉄は田畑を切り広く道具としても使われ、米などもたくさん作れるようになった時代です。
古墳の形について
古墳時代に土を盛って造った「丘のお墓」を古墳と言います。
古墳には古墳時代の指導者や権力者とその家族が葬られています。
中には石室があり、古墳の上には埴輪(はにわ)がたくさん立っていたと推測されています。
宮内庁が管理している仁徳天皇陵は「前方後円墳」という形の台形と円をつなげた形の古墳です。
他にも丸い「円墳」や、四角い「方墳」など様々な種類があります。
- 前方後円墳(前が円形で後ろが台形)
- 前方後方墳(前が四角形で後ろが台形)
- 円墳(丸い形)
- 方墳(四角い形)
- 帆立貝式古墳(ホタテ貝のような形・全方向円墳の短いパージョン)
- 双方中円墳(丸を中心に両側に四角形がくっついている形)
- 八角墳(八角形)
- 六角墳(六角形)
- 柄鏡式古墳(丸に長細い長方形が付いている手鏡のような形)
- 双円墳(大きい丸と小さい丸がくっついている形)
- 上円下方墳(四角の上に丸が乗っている形)
- 四隅突出墳(四角形の角が出っ張っていて、曲線でつながっている形)
古墳の成り立ちについて
紀元前3世紀から紀元後2世紀ごろまでの弥生時代から大きなお墓が造られるようになりました。
当時の人は大きなお墓に埋葬されるのが1つのステータスでした。
古墳時代に入ってからさらに大きくなり、周りに壕(ごう)を掘ったり、堤(つつみ)を造りました。
一番大きくなったのが仁徳天皇陵です。
指導者は大きな墓を民衆に見せ、権力を示し、民を治めようとしていました。
その後、中国大陸や朝鮮半島から民を治める方法を学び、古墳が造られることがなくなりました。
聖徳太子も古墳に埋葬された!?
6世紀に入り聖徳太子の冠位十二階や十七条憲法などの政治の仕組みが決めるようになると、大きな古墳を造る必要がなくなりました。
実は聖徳太子も古墳が多く造られていた時代を生きたため、古墳に葬られました。
聖徳太子は大阪の南河内郡太子町にある叡福寺北古墳に埋葬されているとされています。
また、仁徳天皇陵が本当に仁徳天皇のお墓なのかは解っていません。
日本書紀などを元に仁徳天皇の墓と推測されています。
まとめ
大阪には世界遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」を代表として数多くの古墳があります。
日本一の大きさを誇る「仁徳天皇陵」、二番目に大きい「応神天皇陵」はいずれも「百舌鳥・古市古墳群」の1つです。
「百舌鳥・古市古墳群」は大きく「百舌鳥エリア」と「古市エリア」に分けられます。
「百舌鳥エリア」には「仁徳天皇陵」があり、「古市エリア」には「応神天皇陵」があります。
百舌鳥エリアへは大阪市内から電車で約30分、古市エリアへは約45分程で行くことができます。
いずれも大きな古墳が点在しているため、多くの古墳を観光しようとすると1日かかります。
また、車での移動は駐車場を探すのが大変です。
徒歩での観光をオススメします。
世界遺産に登録されると海外からの観光客も増えると思われます。
空いているうちに観光してみてはどうでしょうか?