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4年ごとに開催される世界的スポーツの祭典オリンピック!
テレビを見ていると1992年と1994年に2回出場している選手や、2回メダルをもらった選手がいることがあります。
「あれ?オリンピックって4年に1度じゃなかったっけ?」
そこで今回はなぜ1992年と1994年の3年間で冬季オリンピックが2回開催された理由をまとめました!
このページの目次
1992年と1994年の冬季オリンピック
今では2年ごとに夏と冬の競技が交互に開催されているオリンピック。
実は1992年まで夏と冬のオリンピックは同じ年に開催されていました。
1990年代前半に2年ごとの交互開催へと変更されました。
その転換期が1992年と1994年の3年の間に2回開催された理由です。
国際オリンピック委員会(IOC)からは明確な理由は発表されていません。
調べてみると、納得できる理由がいくつかいくつかありました。
- ❶ テレビ放映権料やスポンサー料の収益を上げるため
- ❷ 冬季オリンピックの関心を高めるため
- ❸ オリンピックのブランド力向上のため
- ❹ 6年明けて開催すると出場できない選手が出るため
の4つです。
テレビ放映権料やスポンサー料の収益を上げるため
夏季と冬季のオリンピックを1年に2回開催するとテレビ局やスポンサーの1年間の出費が大きくなります。
そのため、国際オリンピック委員会(IOC)は放映権料やスポンサー料を値上げしにくい状況でした。
そこで、2年ごとに夏季と冬季を交互に開催することにより、収益を上げることを考えました。
冬季オリンピックの関心を高めるため
冬季オリンピックは夏季オリンピックに比べると注目されにくい競技が多いです。
それまでは、夏季オリンピックの前座のような雰囲気もありました。
夏季オリンピックには陸上、水泳、サッカーなど人気競技が多数あります。
選手人口を比べても圧倒的に夏季オリンピックの方が多いです。
冬季オリンピックは環境の都合で、さかんな地域と選手がいない地域もあります。
そこで、より冬季オリンピックに関心を高めてもらえるように夏季と冬季を2年ごと開催(分離開催)することにしました。
特にヨーロッパでは冬季オリンピック種目は盛んで、ヨーロッパの国々から「分離開催」を望む声が多く挙がっていました。
冬季オリンピックの開催地を見ても半数以上がヨーロッパでの開催になっています。
冬季オリンピックの主役はヨーロッパだということがよく分かります。
オリンピックのブランド力向上のため
4年に夏季と冬季の開催すると「オリンピック」という言葉が4年に一度しか話題に挙がってきません。
新聞やテレビなどのメディアで取り上げられるのはオリンピックイヤーと前年くらいです。
そこで、国際オリンピック委員会(IOC)は2年ごとに夏季と冬季を別々に開催することで、「オリンピック」にもっと親しみを持ってもらおうと考えました。
2年ごとの開催に変わり、メディアでも前年からオリンピック予選やマイナー競技の結果を報道するようになりました。
メディアで「オリンピック」という単語を目や耳にする機会が増える結果になりました。
6年明けて開催すると出場できない選手が出るため
選手にとって選手生命のピークは限られた期間しか保つことができません。
多くの選手にとってオリンピックは一生のうち何度も出場できるわけではありません。
そんな中で6年も開催期間が明いてしまうと出場できない選手も出てきます。
そこで、6年ではなく特例の2年間隔での開催が決定されました。
選手にとってはありがたい判断でした。
また、6年後に開催するよりも2年後に開催する方が国際オリンピック委員会(IOC)としても収益面でのメリットが大きくなります。
冬季オリンピック2年間隔で開催が決まったのは1986年
1992年と1994年の冬季オリンピックの「2年間隔での開催」が決まったのは1986年10月です。
1986年10月17日 スイスのローザンヌで開かれた国際オリンピック委員会総会(IOC総会)で採択されました。
1992年の夏季大会のバルセロナオリンピックと冬季大会のアルベールビルオリンピックが開催地として決定したのもこの時です。
その際に、冬季オリンピックは次の冬季オリンピックを1994年に開催し、以後は4で割り切れない偶数の西暦年(ワールドカップイヤー)に開催することが決定しました。
この時にオリンピック委員会会長(IOC会長)はサマランチ氏で、オリンピックの商業化を進めた主要な人物でもあります。
サマランチ会長
国際オリンピック委員会第7代会長
本名:フアン・アントニオ・サマランチ
生年月日:1920年7月17日生-2010年4月21日(89歳没)
国籍:スペイン
任期:1980年7月16日~2001年7月16日
1980年代に財政難に陥っていた国際オリンピック委員会(IOC)の財政基盤を立て直した人物です。
1984年のロサンゼルスオリンピックでテレビ放送権料やスポンサー料などで巨額の資金を集めるシステムを採用しました。
オリンピックの商業科を進めた中心的人物です。
バスケットボールやテニスのプロ選手の参加にも大きく関わっていました。
過去の冬季オリンピック開催地
ヨーロッパが中心とされる冬季オリンピックの過去の開催地についても調べてみました。
1回 | 1924 | シャモニー | フランス |
2回 | 1928 | サンモリッツ | スイス |
3回 | 1932 | レークプラシッド | アメリカ |
4回 | 1936 | ガルミッシュ=パルテンキルヒェン | ドイツ |
中止 | 1940 | 札幌 | 日本 |
中止 | 1944 | コルチナ・ダンペッツオ | イタリア |
5回 | 1948 | サンモリッツ | スイス |
6回 | 1952 | オスロ | ノルウェー |
7回 | 1956 | コルチナ・ダンペッツオ | イタリア |
8回 | 1960 | スコーバレー | アメリカ |
9回 | 1964 | インスブルック | オーストリア |
10回 | 1968 | グルノーブル | フランス |
11回 | 1972 | 札幌 | 日本 |
12回 | 1976 | インスブルック | オーストリア |
13回 | 1980 | レークプラシッド | アメリカ |
14回 | 1984 | サラエボ | ユーゴスラビア |
15回 | 1988 | カルガリー | カナダ |
16回 | 1992 | アルベールビル | フランス |
17回 | 1994 | リレハンメル | ノルウェー |
18回 | 1998 | 長野 | 日本 |
19回 | 2002 | ソルトレークシティ | アメリカ |
20回 | 2006 | トリノ | イタリア |
21回 | 2010 | バンクーバー | カナダ |
22回 | 2014 | ソチ | ロシア |
23回 | 2018 | 平昌 | 韓国 |
24回 | 2022 | 北京 | 中国 |
1940年と1944年大会は第二次世界大戦により中止となっています。
次の冬季北京オリンピックで24回目の開催になるんですね!
冬季オリンピックの主役はヨーロッパ
開催地を一覧にしてみると分かったのが、ヨーロッパ開催が多いことです。
冬季オリンピックの人気種目のスキー、スケートはどちらもヨーロッパが発祥です。
次に開かれる北京オリンピックを加えて24回のうち14回がヨーロッパで開催されています。
約60%の割合です。
理由の❷でも挙がった通り、冬季オリンピックはヨーロッパ勢の力が強いです。
アジア開催は4回(約17%)で、北米開催が6回(約25%)南米、オセアニア、アフリカではまだ開催されたことがありません。
いずれ、オーストラリアやチリなんかで冬季オリンピックが開催されたらおもしろいですね!
冬季オリンピック最多出場の葛西選手
スキージャンプの葛西選手のオリンピック初出場は1992年のアルベールビル大会からです。
当時19歳で初出場し、今では冬季オリンピック史上最多の8回の連続出場を果たしました。
2回目はもちろん1994年のリレハンメル大会でした。
現在の最多連続出場は夏季オリンピックでオーストリア代表として出場したHubert Raudaschl氏(読み方解らないです…)。
なんと、1964年から1996年足掛け32年に渡り9回出場し、1968年と1980年には銀メダルを受賞しています。
最多出場は、カナダの馬術競技者のイアン・ミラー氏(Ian Millar)1972年から2012年の40年間で10回の出場を果たしています。
1980年のモスクワ大会はカナダが参加をボイコットしたため連続出場記録は持っていません。
オリンピックの出場回数でややこしいこと
よくテレビで「22歳でオリンピックは2回目の出場です」とアナウンサーが解説していますね。
22歳で2回目の出場ということは、”14歳から出てるの?オリンピックってそんなに若くて出れるんだ!”と思ったりしませんか?
2回×4年=8年で、実年齢から8歳引いて”14歳から頑張ってるんだ!”と思いがちです。
よく考えてみると、22歳で2回目の出場ということは前回出場は18歳の時なんです。
実際は17歳の頃に大会で結果を残し、18歳の時に1回目の出場を果たしています。
葛西選手は1992年に19歳で初出場して2022年には49歳になります。
30年で9回のオリンピックに出場を果たすと、Hubert Raudaschl氏よりも短期間で連続出場記録に並びます!
まとめ
冬季オリンピックが1992年と1994年に2回開催されることになったのは1986年の国際オリンピック委員会総会(IOC総会)で決定しました。
なぜ2年間隔での開催になったのか明確な理由は発表されていません。
調べてみると、
- ❶ テレビ放映権料やスポンサー料の収益を上げるため
- ❷ 冬季オリンピックの関心を高めるため
- ❸ オリンピックのブランド力向上のため
- ❹ 6年明けて開催すると出場できない選手が出るため
の4つの大きな理由がありました。
どの理由もオリンピックにお金の匂いを感じさせる理由です。
当時の国際オリンピック委員会(IOCに)の会長だったサマランチ氏の考え方は「オリンピックの商業化」でした。
オリンピックを商業化して利益を出すために、1992年と1994年に冬季オリンピックが2回開催されたと考えられます。
選手にとっては出場機会が3年で2度あるありがたい結果となりました。